2026.7.28
「サイエンスを肴に、街で飲むーScience Bar」—医師も、起業家も、居酒屋の店主も。"一つ屋根の下"で交わる医療機器ビジネスのリアル—
REPORT
#サイエンスバー #医療機器ビジネス

5月のある夕方。
帰路に就くビジネスパーソンや学生たち、犬のお散歩や夕方の買い物に出かける人、保育園からかえる親子などが行き交う中、柏の葉キャンパス駅前のUDCK1階には、医師やビジネスパーソン、研究者、教員に学生、アカデミア、そして街の住民や駅前の横丁の店主など多種多様な人たち総勢40名ほどが集まり、熱い議論が交わされていました。
「(医療機器開発は)生命を生かす尊い事業なのに、保険適用が遅れて導入されにくかったり、保険点数が低く事業の継続性が見込めないなど、保険制度が良い医療の普及を妨げているようにも聞こえる。私たちがより良い医療の恩恵を受けていくためにはどうしたらいいのか、その答えを知りたい」
駅前ガード下の居酒屋の店主からの質問に、登壇者が答えます。
「教科書的に回答すると、選挙に行くことです。ただ、海外と比べて日本の国民皆保険というのは、窮屈さや矛盾もあるかもしれないが、誰もが自由に病院に行ける素晴らしい制度。その制度をどこまで広げるべきか、いろんな考えがあり答えも明確でないからこそ、様々な意見を聞き選挙に行くことは大事だと思います」(ナノテックシュピンドラー株式会社の前田貴昭さん)
「いいデバイスが開発された時に、治験も一つの選択肢。また、技術だけでなく先生の知識や治療も進化しています。柏の葉では、そういった相談ができる人が横丁にもいたりと垣根が低いコミュニティがあるので、うまく活用して欲しいです」 (国立研究開発法人国立がん研究センター東病院 医療機器開発推進部AI・デジタル機器開発推進室室長の杵淵裕美さん)
他にも、「海外展開時のローカライズはどの程度必要なのか」「医療機器を使った手術における責任は誰が担うのか」など、ビジネス展開や医療の倫理観につながる質問が飛び交いました。
話されているのは、日本の医療機器ビジネスについて。居酒屋の店主から、ビジネスパーソン、スタートアップ支援者など幅広い立場の人たちが各々の疑問を投げかけます。通常だと業界関係者でしか話されないようなこのテーマを、なぜ、こうも多種多様な人たちが議論しているのでしょうか。
都市活動で組織の壁を越え、界隈の人たちを有機的に繋げる場

この日開催されていたのは、「サイエンスバー 柏の葉 Vol.8」。「サイエンスを酒の肴に」というユニークなコンセプトを掲げたイベントです。
柏の葉には、東京大学や千葉大学、国立がん研究センター、産業技術総合研究所(産総研)といった国内屈指の研究機関、さらには大手企業のR&D拠点がダイナミックに集積しています。
「Science Bar」は、こうした場所で日々研鑽を積むトップレベルの専門家たちの知見を街へと開放し、組織の枠組みや役職、専門領域といったあらゆる境界を飛び越え、共通の探究心を軸に繋がり合うきっかけを創出していく場です。
柏の葉では、このような都市活動を通じて、この地で育まれている先端研究やビジネス、そして日々の暮らしを有機的に結びつけるしくみを構築しています。その結果、知識や技術が独自のサイクルで循環し、この街の強みとなり磨かれていくとともに、柏の葉ならではの豊かな文化が醸成されつつあります。
冒頭で触れた光景は、まさにその一場面。普段の仕事では接点のない人々が、柏の葉というオープンなフィールドでカジュアルに、かつ情熱を持って語り合う—。この街だからこその交流の風景が、そこにありました。
これまでの主な開催テーマは以下の通りです。
【過去の開催歴】
2024年10月23日 第1回 mRNA医薬・ワクチン開発の現状と課題(株式会社ARCALIS)
2025年1月17日 第2回
次世代抗体医薬品等バイオ医薬品開発を推進する基盤技術Kazanbodyのご紹介(Neko Pharma株式会社)
錯覚が拓く未来のディスプレイ(東京大学大学院新領域創成科学研究科)
2025年3月14日 第3回 千葉大学 宇宙園芸等(千葉大学 園芸学研究院・朝日工業社 技術研究所)
2025年7月23日 第4回 臨床検査サービスと体外診断薬等(合同会社H.U.グループ中央研究所)
2025年9月17日 第5回 肺に特化したオルガノイド 創薬支援および肺毒性応用展開(HiLung株式会社)
2025年11月17日 第6回 超高純度・効率的・低コストのリチウム回収技術の開発(LiSTie株式会社)
2026年3月25日 第7回 アト秒パルスで柏の葉フロンティアへ(東京大学アト秒レーザー科学研究機構)
良い技術だけでは売れない。スタートアップが知らない医療機器ビジネスの3つの軸
では、今回の医療機器ビジネスについては、どういった専門家の話がされたのか、見ていきましょう。
最初に登壇したのは、ナノテックシュピンドラー株式会社 認証部 部長補佐 ISO審査員の前田貴昭さんです。フクダ電子で心電計の開発に携わったのを皮切りに、ジョンソン・エンド・ジョンソン、川澄化学、NECと国内外の医療機器メーカーを渡り歩いてきた、開発者と認証専門家の両方の顔を持つ稀有なキャリアの持ち主です。

前田さんはまず、医療機器ビジネスに参入する動機として語られることが多い「社会貢献と事業性の両立」「技術が直接人の人生を変える手応え」「高付加価値産業としての安定性」といった魅力を伝えたうえで、「しかし現実はそれほど単純ではない」と切り出しました。
その背景にあるのが、日本の保険診療の仕組みです。医療費の大部分は公的保険が負担し、診療報酬や医療材料の価格は国が定めています。つまり病院がどれだけ良い製品を使いたくても、国が定めた価格でしか購入できず、しかもその価格は製品が普及するほど引き下げられていきます。医療機器ビジネスには技術・規制・保険という三つの軸が不可欠であり、この三つが揃って初めて患者に届き、ようやく事業として成り立つのだと、前田さんは言います。
具体的な事例として、これまで40年のキャリアの中で関わってきた複数の製品が紹介されました。
現場への導入も、その後の浸透も保険適用次第?新しい技術の普及に立ちはだかる大きな壁
冠動脈ステントは、かつて胸を開いて行うバイパス手術しかなかった心筋梗塞の治療を、カテーテルによる低侵襲な治療へと変えた画期的な製品です。早ければ翌日に退院できる「夢の医療」として、償還価格がつきました。ところが競合参入と標準治療化が進む中で、価格は20年かけて3分の1程度まで下落しました。開発に何十億もかけた製品であっても、国が決めた償還価格の外では動けません。前田さんが在籍していたジョンソン・エンド・ジョンソンは2011年にこの事業からの撤退を宣言しました。画期的な技術であっても、標準治療になった瞬間に価格下落の波に巻き込まれる——医療機器ビジネスの構造を象徴する事例です。
他にも、血のにじむような企業努力で維持してきたものの、診療報酬の低さから撤退を余儀なくされた川澄化学工業(現SBカワスミ)による国内製造の透析用ダイアライザーの事例も紹介されました。また、医師から高い期待を集めていたNECのAI大腸ポリープ検出システムについても、発売から5年間は保険点数がつかず買い手が現れなかったこと、ようやく認められた点数も60点(600円)にとどまったことが語られました。
研究開発費の回収までの期間や、保険適用されてもその点数(金額)の低さによる回収の難しさから、事業継続を断念するメーカーもいると言います。こうした新技術は、臨床評価が高くても保険収載までのタイムラグがあり、その期間をどう乗り越えるかが事業設計の鍵となるのです。
「ドクターに褒めていただいても、患者さんのためになると確信していても、それが事業として成り立つかどうかは全く別の話です」と前田さんは語りました。
「医療機器は技術産業ではなく、制度産業です。規制と保険の理解なしに開発戦略を立てても、最後の最後で行き詰まります」。前田さんはこう断言しながらも、「患者さんに喜んでいただいたとき、先生から声をかけていただいたときの手応えは、40年経っても変わりません。だからこそこの仕事は魅力的です」と、この仕事への思いを語りました。
技術だけでなく、規制や保険といった制度をいかに早い段階から開発戦略に組み込むか。これは医療機器に限らず、新しい技術を社会に実装しようとするあらゆる事業に共通する問いです。だからこそ、異なる専門性を持つ人や組織と早くから連携できる環境が、事業の成否を分けることになります。
医師とエンジニアが一ヶ所に集まることで生まれる新たな事業
続いて登壇したのは、国立研究開発法人国立がん研究センター東病院 医療機器開発推進部AI・デジタル機器開発推進室 室長の杵淵裕美さんです。杵淵さんは医療の専門家ではなく、コンサルティング会社で企業の海外展開支援に携わった後、2019年にがんセンターへ転じたという、ビジネス・事業開発側の経歴を持つ人物です。
柏の葉キャンパス駅から徒歩圏内に位置する国立がん研究センター東病院には、2017年に設立された「NEXT医療機器開発センター」があります。掲げるミッションは「医療機器で世界を変える」。医療機器開発を行っている建物の4階は手術室、3階はICU、1階は内視鏡センターという病院機能の中に研究開発拠点と企業の居室が同居する、国内でも稀有な環境です。このような環境の中、2015年以降に5社のスタートアップが誕生しています。手術支援ロボット、手術中に損傷リスクのある臓器をAIが画面に表示する内視鏡支援システム、手術データベース、術後の合併症を防ぐ治療用ゲルデバイス、せん妄予測AIと、続々と新しい会社が生まれてきました。
● 朝日サージカルロボティクス株式会社 https://asahi-surgrob.com/
○ 外科医と協働する「もう一人の外科医」をコンセプトに、快適な操作インターフェースを備えた、世界に対抗できる日本産の腹腔鏡手術支援ロボットを開発。
● 株式会社Jmees https://www.jmees-inc.com/
○ 「すべての人々に安全で質の高い治療を届ける」をミッションに、内視鏡外科手術のAI手術支援システムを開発。2025年12月22日付で「内視鏡手術支援プログラム SurVis-Pel」が薬事承認を取得。
● 株式会社Surg storage https://www.surgstorage.com/
○ 手術室のデータをデータベース化し、手術動画やアノテーションデータをAI開発企業・医療機器開発企業へ提供。マーケティング、営業、開発、教育など幅広い用途で活用できるサービスを展開。
● 株式会社Medseed https://www.medseed-medical.com/company/
○ 「ハイドロゲル技術で、がん治療の未来を切り拓く」をミッションに、ハイドロゲル技術を用いたがん治療用の医療機器を研究・開発・製造。
● 株式会社DELISPECT https://www.delispect.com/
○ デジタル技術で高齢化社会の医療課題に挑戦。高齢入院患者の予測困難な意識障害である「せん妄」について、リスク評価と事前ケアを支援する独自の予測AIモデルを開発。
短期間で5社もスタートアップが生まれたその秘密
なぜ2015年以降、こんなにも新しいスタートアップが生まれたのでしょうか。その答えは医師との距離の近さと、すぐに「じゃあやってみよう」と試せる環境(模擬手術室や動物実験室)にあります。「我々は病院の中で開発できるので、すぐ先生に意見を聞いたり、実際に見てもらったり、それをもとに改善できる。そこが強みです」と杵淵さんは話します。各分野のキーオピニオンリーダーの医師が揃っており、考えたことをその日のうちに試せる。仮説検証のサイクルの速さが、事業開発のスピードを根本から変えています。

杵淵さんはスタートアップ5社が生まれた背景として、その共通点を「一緒に走る仲間」や「チーム」の存在であると語ります。たとえば内視鏡AIシステムのJmees社は、病院の中でAI開発をしたいと考えた医師と、医療×AIで起業したいと考えていた東大のエンジニアが出会い、同じプロジェクトを走り続けた結果として生まれました。いきなり会社をつくるのではなく、医師とエンジニアが同じゴールに向かって議論・試作・改善のサイクルを2〜3年続け、その先に起業がある——この順番が共通していると言います。
現在、国立がん研究センター東病院では、起業を目指す研究者が一定期間、組織に身を置き、そのリソースを活用しながら新規事業に取り組む「客員起業家(Entrepreneur in Residence)」制度の導入も予定されているとのこと。
「まず一緒に飛び込んで走ってみることが大事で、意外なところに仲間はいます。自分からこうしたいと発信することが、すごく大事だと私自身の経験から思っています。」杵淵さん自身が医療機器の専門家ではないところからこの世界に飛び込んできた経緯が、この言葉に重みを与えていました。
会場から質問があがります。
「研究者とエンジニアが一緒にビジネスをしていく上でどういった状態だとうまくいくのでしょうか」
双方を支援している当事者として、「お互い殻に閉じこもらずに役割分担し、リスペクトしあいながら言いたいことが言い合える関係が大事」と杵淵さんは答えます。
さらに、その両者のタッグに加え、杵淵さんたちビジネス支援側の役割があります。他にも、医療機器メーカー出身者や実際に事業計画や戦略立案に関わった経験のあるメンバーなど数名で、スタートアップの事業を支援しているそうです。
「ビジネス経験豊富なメンバーが、価格設定から事業計画の立案まで伴走し、売上・利益の試算もしながら、ビジネスとして成立する道筋を一緒に考えています」
そして最後に「若手がどんどんチャレンジして失敗できる環境をつくることがめちゃくちゃ大事。失敗しても何回でもチャレンジできる環境を与え、つくっていきたい。ぜひそういう場を一緒につくっていきましょう」と参加者へ訴えました。
柏の葉にきておよそ7年の杵淵さん、最初は知り合いもいなかったこの場所で、かけだし横丁で徐々に街の人と知り合いになっていったそうです。今日この場にも、杵淵さんが仲良くしている店主が参加されていました。
「フラッと入ったお店で隣に座った人が東大の研究者だったり、政治家だったりする。都内では考えられないコミュニティのいい意味での狭さと深さがあることが柏の葉の魅力」と語ってくれました。
アンダーワンルーフ。異なる強みが一拠点に集う意味
参加者からの質疑も盛んに行われ、最後に、国立がん研究センター先端医療開発センター長である土原一哉さんが総括されました。

「今日の二人は実は異なるフィールドの話をしてくれました。がんセンター(NEXT出身)側は、優れた技術を持つルーキーが集まって育つ『ルーキーリーグ』のような存在。
一方の前田さんは、いわば『抑えの投手(江夏)』のような役割で、最終的に商品を世に出して価値を生み出せるかどうかを、当局・市場と合理的に交渉する話。前田さんは、40年にわたり国内外の会社を渡り歩いてきた業界では著名な方で、こうした一般に開かれた場でこの話が聞けたのは貴重でした。
こうした規制・薬事の話は教科書のどこにも書いていないので、若いエンジニアや研究者が『空気だけでも』感じられること自体に大きな意味があります」
さらに、今日のこの場こそが、柏の葉の魅力であると語りました。
「会場からの質問はどれも核心を突いていました。特に『日本の医療システムは良いのか悪いのか』という問いは、良し悪しで割り切れるものではありません。開発費が年々高騰する中、それをどう回収するかを開発の最初期から考えなければならず、そのためにこそ前田さんのような薬事・規制の専門家が研究の初期段階から入り、間違った方向に進まないようにすることが重要です。
がんセンターはこの10年、開発初期からエンジニアと医師が一緒に動く良いモデルを作ってきました。今後はビジネスデベロップメントや薬事、国際規制の視点をどれだけ早い段階から入れられるかが勝ち筋になっていくでしょう。
日本政府もこうした議論は既に認識しており、対策を打ち始めています。こうしたステークホルダーが一拠点(アンダーワンルーフ)に集まること自体が世界的にも稀有な例であり、柏の葉がその中心拠点に選ばれるかどうかが今まさに重要な局面にあると思っています。
今日のように多様な人が興味を持って集まること自体が柏の葉のポテンシャルであり、『世界中で開発するなら柏の葉が一番』ということが具体化され伝わっていけば、世界中から技術と資本が集まってくるでしょう」
難しい話で頭が疲れたら、横丁で力を抜きながら、この続きを気軽に話していってほしいと語りました。
研究者も、企業も、住民も——”柏の葉”にしかない密度
事業には様々なステークホルダーが関わってきます。その縮図となるようなこの場所で、たくさんの視点を持った人たちに揉まれていくことが、事業の次の一歩につながっていくと感じられる回でした。
参加者の一人、地元住民で、スタートアップ支援を担当している方は感想をこう述べます。
「いろんな種類のプレイヤーがコンパクトな場所に集まっていて、研究を事業化する機能を持つ機関がある。他ではなかなかない環境だと思います。対面で話すと意外と知り合いだったり、つながりがあったりして、そういう積み重ねが気持ちを動かしてくれますね」
杵淵さんが表現してくれた「コミュニティのいい意味での狭さと深さ」は、こうしたオンとオフの境目にあるサイエンスバーにも息づき、組織や立場の垣根を越えて人と人とが緩やかに繋がりながら、次の可能性を育てています。
次回のサイエンスバーは・・・
ここで育まれるコミュニティと多角的な視点が、新たな共同研究やプロジェクトの始動、スタートアップの誕生、そして社会実装といった次なる挑戦へと繋がっていく。サイエンスバーは、そんな未来を見据えています。
また、柏の葉での実証実験や共創プロジェクトを検討している人々にとって、サイエンスバーは、現場のキーパーソンと直接対話できる貴重な接点にもなっています。
次回は、どんな方が登場するのでしょうか。開催は8月21日を予定しています。
あなたもぜひ、サイエンスを酒の肴に、柏の葉へお越しください。詳細が決まったら改めて柏の葉共創機構のウェブサイトでも告知しますので、どうぞお楽しみに。
※サイエンスバーの案内が欲しい方は、CONTACTにご連絡ください。
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